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■03.10.18(Sat) 連絡

夜の10時10分ごろ、妹からの電話で母の死を知る。

■03.10.16(Thu) ラフ出し

引き続き制作&ラフ提出。恵比寿に自転車で行って手渡し。 色々な仕事を後回しにさせてもらっている。 さすがにこのままではいけない。明日から、できる範囲で少しづつかたずけ始めようと思う。

母の呼吸停止の時間は、さらに長くなってきているようだ。横にいる父や妹は神経をすり減らしながら、それを見守っているに違いない。ぼくはきっと、母の最期に立ち合うことはないと思う。そう覚悟して、病院をはなれたのだし…

ぼくは、 「母はもうここにいない」と思いながらも、最後に母の息が止まってしまう光景を見たくなかったのかもしれない。その光景をイメージすると、鼓動が異常に早くなってしまい、平静が保てなくなった。

■03.10.15(Wed) つくる日 

テレビの仕事はつねにスケジュールがタイト。昨日、打ち合わせして、明日にはラフ提出。月曜日には編集作業。つまり、今日はひたすら作りまくる日である。

昼と夜に事務所から、父と妹に電話を入れる。変化はない。仕事をしていても、誰かと話をしていても、つねに母のことを考えている。


■03.10.14(Tue) 日テレ 

病室に交代に来てくれた妹に母との写真をとってもらう。妹は母の病気を機にひとまわり成長した。いままで、繊細すぎて内へ内へと向かっていた心の動きが、にわかに生命力をおびて変化していっている。病気になった母は、そのことを病気になって唯一のよかったことだと言った。

家族とは少しずつお互いを補いながら生きているものなのだと、ようやくにして思う。東京に出てしまい、年に1,2度しか帰郷しないぼくに比べて、父と妹にその兆候は強い。母が本当にいなくなってしまった後、父と妹がどうなってしまうのか、今は予想もできないが、とりあえず、今、必死にそして淡々と母の分を補いながら生活している。

病床の母をあとに、昼からの打ち合わせのため、午前の便で再び東京へ。


 
 

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